写真:引地信彦





 何度でも味わいたくなるものがたり

 4月21日・東京初日、ご存知のとおり未だに、そしてこれからも暗い影響をおよぼすであろう東日本大震災により決して明るくない情勢のなか、たくさんのお客様がつめかけ、客席はほぼいっぱい。
後で聞いたところによると、スタッフはたくさんのお客様の姿を見て、ほっと胸をなでおろすと同時に、ぜひその期待に応えねばと身の引き締まる思いだったそう。

 舞台上に佇むのは石壁造りの古めかしいバーのセット。カウンターの前にならぶスツール。二組のちいさなテーブル。質素ながらも時代を感じさせるようなデザインのインテリアが並びます。
バーの外にかけられた丸い看板には日本語で「紅や」の文字が。
あれ? 舞台はアメリカときいていたのに日本語なの?

 ものがたりのはじまりは2012年のとある夜から。
店の奥から和服姿の老婦人(篠井英介)が現れ、店のなかを歩いていく。
かなり歳をとっているようだけど、旅館のおかみさんのような凛とした雰囲気も感じさせるその立ち姿に思わずうっとり。
この女性が店の主なのかしら?
カウンターの奥でどこかに電話をかける老婦人。
「ジョー? ママよ」
電話の相手は自分の子供なのだろうか、ジュンという人物が亡くなったこと、すでにベニイという人物が亡くなっていることが伝わってくる。
やがて、老婦人は静かに電話を置くと、一本の酒をちびちびと楽しみながら1枚の写真に語りかける。
「ジュンとベニイとわたし、私たちは最高の姉妹だったわよねえ…」
遠い昔を懐かしむように窓の外へ目をやる老婦人。外からは花火の音。いつのまにか祭りの喧騒につつまれる店内。
店のなかへ新たにふたりの老婦人(大谷亮介と深沢敦)が入ってきた。ジュンとベニイと呼び合うふたり。あれ、このふたりは亡くなっているはずの? ジュンとベニイをやさしく見つめる老婦人。これは彼女の見る夢なのかしら。気付けばいつしか時は2001年にさかのぼってた。やがて先ほどの老婦人もこの時代の姿で現れた。彼女の名前はミミというらしい。
3人の楽しいおしゃべりに耳を傾けているうちにいろんな関係が伝わってくる。どうやらミミは出戻りらしいこと、そして「ジョー」に対し3人ともが親のように接していること。そして3人が本当に仲の良いこと。

 そしてまた時代はさかのぼり、1990年へ。
より若々しい(おばちゃんだけど!)姿のジュンが見せる恋の騒動が微笑ましい。とってもチャーミングなジュンの姿に思わず胸キュン。そんなジュンを冷やかしながらもやさしく応援するベニイ。ああ、この人達、ほんといい関係なんだなあって心があったかくなるシーン。
「ジョー」への電話では3人がママと名乗った。この人たちはどういう関係なの? ちいさな謎が積もっていく。

 いくつもの時代を経て、やがて、ものがたりは3人の出会いへ。
3人の「これから」を知っている私たちには、この出会いがたまらなく愛おしいものに見えてくる。なんてニクい作り。

 なるほど。これはこの店「紅や」が見ている夢なのかもしれない。かつてこの店であった3人の生活が、ビデオテープを巻き戻すかのようにだんだんとさかのぼりながら再生されてゆく。
ある時代では、ジュンとベニイのふたりが「あんな性格じゃあまっさきに死ぬのはミミね」なんて話で笑いあってる。3人の遠い未来を知っている私たちには可笑しくて、そしてちょっと悲しい。
積もっていたちいさな謎はだんだんと解きほぐされ、それとはまた別に明かされるおどろきの事実も。
ごく平凡な範疇の日常の積み重ねを、夢みるように眺めている私。すごく不思議な感覚。

 幕が降りてもしばらく客席に座っていた私。あたまの中では今観たばかりの物語の逆再生が始まっている。
ベニイの言ったあの言葉の意味、電話を受けたジュンのあの表情、独り残ったミミが抱えていた思い。
切なさが胸にじんと残っている。
時代の合間に、きっとこの「紅や」であったであろうあんな出来事やこんな出来事も浮かんでくる。

終わったばかりなのに、もういちど最初から観たくてたまらない。きっと物語が違うものに見えてくる、そう確信してる。前作「ウドンゲ」の時もそうだった。またこの3軒茶屋婦人会とG2にやられた! そんな思いでいっぱいです。