・明日という日を前にして

6月6日(火)
 遂に2回目の通し稽古(ゲネプロ)を終え、いよいよ明日、やっとお客さんに見て貰える。
 楽しみでもあり、怖くもある。
 ゲネを終えたあとに美術デザイナーのあつみちゃんが「面白かった、キレイだった。単純にお客として楽しんでしまった。シェイクスピアなのにとってもG2さんらしさに溢れてる」とコメントしてくれた。いつも辛口トークのあつみちゃんの言葉だけに、とっても嬉しかった。
 確かに我ながら「見せ物」としてはかなり水準の高いものになったと思う。装置はシンプルなのに最後まで飽きが来ない。照明はビームもピンスポットも使っていない。これは食品でいえば添加物を使っていないに等しい。食材に自信がなければできない手法だ。衣装もカラフルで可愛い。ヘアデザインもマッチしてる。楽曲もひとつひとつが素敵に仕上がった。歌も聞き応え充分。ダンスもユニークで面白い。そして何よりも役者が生き生きとしている。つまづきそうになるほどの膨大な台詞の量だが、つまづいたって遜色がないほど、誰ひとり、その長い台詞に負けている役者はいない。台詞のひとこと一言に血が通っている。
 翻訳を開始してから、半年以上が経った今日、ようやくG2版シェイクスピア作品の出来上がりである。
 さて、明日からはそれを世に問うわけだ。
 楽しみでもあり、怖くもある。
 「笑えなければ喜劇と名のるなっ!」と偉そうに言ってきた私。初のシェイクスピアで果たしてお客さんは笑ってくれるのか。私の演劇人生でこんな気持になった初日前夜も珍しい。舞台の演出を始めた20代の頃みたい。
 こんな新鮮な気持ちになれることができたのも、明日、初日を迎えることができるのも、集まってきてくれたキャスト・スタッフの皆のおかげである。
 実は、翻訳の最中にも、稽古中にも、何度か「逃げ出したい」と思ってしまった私でした。だって「やっぱりシェイクスピアは大変」だったんだもの。そんな情けない私が最後までやれたのもキャスト・スタッフのみんなが元気をくれたおかげである。私を勇気づけようという意図があったわけではないと思う。ただ、この企画に参加していて「楽しい」と言ってくれただけなのに。その言葉は私に無限のエネルギーを与えてくれた。
 ほんとうに、ほんとうに、ありがとね、みんな。
 そして、この駄文を最後まで読んでくれた皆様にも感謝します。
 G2の稽古場日記。本日で完了です。
 

 ※6月7日の北九州公演で寄せられたアンケートをご紹介


・合宿

6月5日(金)
 今日はハードな一日だった。朝から昨日の場当たりの続き。そして夜には通し稽古までやってしまうという離れ業。今日は場当たりだけで終えて、明日に通しでもいいのだが、なにしろ今回は「役者」が主役(まあ当たり前のことなんだけど)なので劇場での通し稽古を2回やりたかったのだ。だから通しは今日もやる。これを北九州という土地で、ぜいたくに日数を使ってやらせてもらうというのは本当に幸せだ。ありがとう北九州芸術劇場さん。
 舞台監督の太郎ちゃんのスケジュール表には今日の通しは「通し稽古」明日の通しは「ゲネプロ」と書いてある。ゲネプロを広辞苑でひくと、【(Generalprobe(ドイツ)の略)演劇・音楽の総稽古。ヨーロッパでは、初日の前日に各界の名士を招待して行う】とある。なるほど、じゃ明日は各界の名士がやって来るのか? たぶん来ないけど。
 各界の名士と言えば、芸人にして役者、ラーメン店経営のデビット伊東さんがたまたま九州に来ていて、通しを観に来てくれた。以前、一度シェイクスピアをやってからシェイクスピア好きになっているのだとか。確かにシェイクスピアって、やる側は病みつきになるっていうことが今回やってみてよくわかった。大変なんだけど、険しい山ほど登ったときの快感が大きい、みたいな楽しみがある。
 通し後、デビットさんの誉め言葉はありがたく頂戴し、ダメ出しは笑って聞き流した。頭固いのかな俺って。


・場当たり開始

6月4日(木)
 さあ、いよいよ今日から場当たり開始。劇場での場当たりは、私にとって至福の時間。良くも悪くもここですべてが決まってしまうという緊張感が心地良い。
 今回のように「動く」装置の場合、どう動かすかも、そして照明も初めてここで見ることになり、注文があればこの時間にすべて出していかねばならない。その他、役者の立ち位置、音響の音量や音質、衣装の最終チェック、メイクと照明との関係、などなど、演出家にとっては集中力が要求される場。観客が入る前の劇場にはクールに研ぎ澄まされた空気が充ちていて大好きなのだ。
 さて今回の場当たりは、歌や生演奏が何曲かあるので、まずは音合せから。
 オケに生のエレキギターをミックスする手法は以前に同じスタッフでやっているので心配はなかったが、(生のエレキギターって意味わかりにくいねえ。エレキギターを生演奏するってこと)今回、コング桑田がその声量を生かしてマイク無しで歌うというプランがあり、果たして、それが劇場空間でも通用するのか? ということがやや気がかりではあったのだが、これは杞憂に終わった。すげえぜコングの声量。

 さて、そしていよいよ芝居の冒頭から順を追っての場当たりである。
 私にとっての場当たりの最大の山場は実はオープニング。考えていたのは、シンプルかつ大胆なオープニング。歌や踊りが満載のこの台本だからこその音楽を一切使わないあっさりとした幕開きをプランしていたのだが、それはある事情があって稽古場では役者の動きさえリハーサルできなかった。これを1時間以内で作らねばならない。
 だが、舞台監督の榎太郎の計算と、照明・高見さんのセンスのおかげで、「うわーっ」と演出家自らため息をあげるほどのオープニングができあがった。こういう瞬間ってほんと嬉しいのね。人も含めた「動く美術」の完成だ。


・照明DAY

6月3日(水)
 今日は一日、照明DAY。昨日のシュートの続きと明かり合わせ。照明家と膝つき合わせて綿密に作る演出家もいるらしいが、私は客観的に見られなくなるので明かり合わせは敢えて行かないことにしている。照明が高見さんとあれば特に行く必要はない。高見さんは私が言葉で伝えたことをとても理解してくれる明かり屋さんなので助かる。照明って普通は言葉では伝えにくいものだから。
 夜、役者たちが北九州に到着。待ちかまえて一緒に飲みにいく。普段は予約がいっぱいで入るのが難しい店がたまたま空いておりラッキー。藤田記子ちゃんの「セクシー談義」に花が咲く。


・北九州へ!

6月2日(月)
14時5分発の飛行機に乗っていざ北九州へ。今日は劇場での仕込み一日目。いつもは地方の仕込みは舞台監督にまかせてしまうが、今回は地方が全体の初日。それに、装置に巨大な吊天井や、吊りベッドなどがあり、その高さの確認が必要。
 舞台装置って立ち上がった最初はもちろん照明はあたっていない。作業灯で見る装置って味気ないもので、それで不安になったりすることも多い。けれど、そのほとんどが照明が当たると解消される。照明ってすごいね。
 今回は特に「大胆にシンプル」にしたので、最初見たときには「シンプルすぎたかな?」と心配になったけれど、照明のシュートが始まって暗がりに仄かに装置が浮かび上がった瞬間に「わあ、キレイだ」と思えたので安心。
 夜はスタッフと飲む。シェイクスピア談義に花が咲く。


・本日はお休み

6月1日(日)
 本日はお休み。
 夜、「伊東四朗一座」を観劇。やはり伊東四郎さんは最高のコメディアンであると痛感。個人的には「消しますか?」にハマった。八十田勇一くんが斜め前の席で、台詞ごとに楽しそうに笑っているのがわかった。演芸大好きだから彼。前作でご一緒した春風亭昇太さんも舞台上ではじけてた。ロビーに提灯がいっぱい。下北沢ではなく浅草に来たような錯覚を覚えた。
 帰宅後、DVDで映画を見て号泣する。黒人の小さな女の子の芝居が良すぎる。笑ったり泣いたりと感情的にゴージャスな一日だった。


・東京稽古場最終日

5月31日(土)
 今日は最後の通し稽古。昨日の衣装つき通しを経て、集中力を失ったのか、今日はポカミスが多い。でもいいのだ。役者がちょっと反省した状況で劇場へ向かうのも悪いことではない。本質は仕上がっている。けれど人間だからミスをする。それだけのことだ。
 ちなみに昨日、書き忘れたが、衣装の早替えが多かったにもかかわらず、衣装チェンジで通し稽古が止まることがなかった。衣装スタッフとかんばってくれた役者たちを褒めてあげたい。一日遅れだけど褒めます。「でかした」
 まあ、そういう意味で昨日の大集中があって今日のポカミスなのだろうと思う。ミスは稽古の間にしてもらっておいたほうが良い。本番のミスはやはりお客さんに対して失礼だから。

  さて、今日で稽古も終わり。「飲みに行こうっ!」と盛り上がる役者を尻目に、私は別の作品の仕事場へ。うーん、辛い。貧乏暇なし。単価を上げたい。


・衣裳つき通し

5月30日(金)
 今日は衣装をつけての通し稽古。略して「衣装つき通し」……あんまり略せてないけど。
 いやいや、華やか華やか。今回の「夏夢」は演出家G2としては「テキスト重視の会話劇にしたい」がスローガンなので、稽古の最中にビジュアルのことを考えることが少なかった。むしろ翻訳中に考えた「装置は超シンプル、衣装と音楽は『スィンギン・ロンドン』で」というコンセプトだけで今まで走ってきた。だが、このコンセプトはうまくハマったと自分で自分を褒めてあげたい衣装つき通し。
 そしてやや遅れていた音楽面も今日ですべての楽曲があがった。圭哉のうなるギター。コングの冴えるボーカル。響き渡るチョビのストレートな歌声、そして包み込まれるような優しいボイスの樹里ぴょんのメロディー。そして(ホントもったいないけど)一瞬だけ入る沙也加のコーラス。いやいやビジュアルのみならず音楽面も充実してきた。
 最近また、この「何もかもがうまくいっている」という充足感を感じることが多くなってきて本当に幸せだ。06年から07年にかけてミュージカルや時代劇やシュールな会話劇と今まで経験しなかったものを経験するチャンスに恵まれたが、一方で初体験の苦しさも味わってきた。溺れずになんとか泳ぎ切る。ことで必死というか。だが、この修行の二年間の成果が確実に自分をスキル・アップしてくれたことも確か。そして、去年暮れのミュージカル『The Light in the Piazza』から久々にこの「何もかもがうまくいってる」充足感が蘇ってきた。プラス「この作品に出会えて、このカンパニーに出会えて感謝」という気持ち。これは同ミュージカル以来、今のところ4本連続で感じている。なにか年寄りの説教みたいに聞こえるとイヤだが、感謝できるって本当に幸福なことだと思う。
 『The Light in the Piazza』で初めての「訳詞」体験も、今回かなり自分を助けてくれた。すべて元はもちろんシェイクスピアの台詞だが、それを「訳詞して歌にしてしまえ」という発想は、あの時の体験がなければ思いつかなかった。その歌詞に佐藤史朗さんや山内圭哉、劇団「鹿殺し」のオレノ・グラフィティくんと李くん、らがメロディーをつけてくれて出来上がった曲の数々。衣装つき通しの後の時間は、音楽的な最終チェックをやる。やっぱり良いなあ音楽は。60歳になったら再びロックバンドを組むという夢はぜひ実現したいなあ。
 ちなみに『The Light in the Piazza』から得たことは、そういう音楽面だけに留まらない。「台詞の分析」がやっぱり芝居には大事な要素だと改めて教えてくれたのもこのミュージカルである。歌とダンスに追われて、芝居という要素が三分の一しかないミュージカル俳優たちと芝居作りを体験できたことが大きかった。
もちろん、芝居を大事にする考え方の歌穂さんや聖子ちゃん、綜馬さんらとの出会いが大きかったことは特筆したい。本当に感謝である。


・小返しの嵐

5月28日(水)
 昨日、いろいろなことが「見えた」ので、それを整理するために、今日は通しをやめて小返しの嵐。
 毎回思うことだが、全体像が見えて初めて、「創造の神はディテールに宿る」という言葉を痛感する。鑑賞する側は全体像ではなくディテールを見て「面白かったり」「つまらなかったり」を感じる。本質が見えたならば、それをいかにディテールで表現するか。って、特に喜劇では勝負どころ。悲劇は全体のうねりや役者が深いところにおちていればなんとか観客に伝わるが、喜劇は、ディテールがうまくできていなければ「笑えない」という現象が起きてしまう。「笑えない」ものを喜劇と呼ぶわけにはいかない。
 今日の稽古場は、ときおり控え室が湧いている。美容室から男優が帰ってくる度に女優の「カッコイイッ!」の黄色い声がはずむ。
 スィンギン・ロンドンなファッションに合うように老いも若きもみんな派手なカラーリングで斬新な髪型。最近「普段」を描く作品が多いので、こういう風景は珍しい。やはり役者が「変身」するのは、芝居の醍醐味のひとつだよね、と久々に感じた。
 ところでなんで女子の歓声を「黄色い声」って言うんだろ? 音なのに色が見えるなんて。不思議な現象。


いかずちのような
5月27日(火)
 今日は朝からパンフレットに載る挨拶文と格闘した。
 約800文字という宿題。これね、文字数が少なすぎるんですよ。この稽古場日誌の前半を読んでみてもらえばおわかりかと思いますが、とにかく今回の舞台に関しては「言いたい」こと「書きたい」ことが多い。思い入れはどの作品にもあるが「黙して語らず」という思い入れもあるし、「不言実行」もある程度は大事。だが、今回はとにかく作品について演出について翻訳について「しゃべりたい」のである。大阪と北九州における宣伝活動においても記者さんを相手に必要以上にしゃべりまくる自分がいて、我ながらびっくりしている。だって普段「話す」という作業が本当に苦手な人なのだから。
 そういうわけで800文字に自分の言いたいことを凝縮するなんて今回の場合、とっても至難の技なのだ。言いたいことを全部書けばきっと短編小説くらいの分量にはなってしまう。少しの文字数で言えるような「エッセンス」を見つけ出さないと……と2時間ほど唸った結果、見えたんです。そのエッセンスが、パッと閃く光のように。
 どんな「エッセンス」なのかはパンフレットをお読みいただくとして、その「エッセンス」は、午後からの稽古で、私にとんでもないプレゼントをくれることになる。

 今日も稽古ド頭から通し稽古。いよいよ音響さんも入り、圭哉のギターもアンプで唸り始める。皆の歌声もマイクで響く。
 そういう雰囲気も手伝ってくれたのかもしれないし、役者の芝居のレベルやテンションも上がってきたことも影響しただろう。けれど午前中に会得した「エッセンス」が果たしてくれてた役割は大きいと思う。不思議な体験をくれたのである。
 通し稽古を見ていて、全ての場面、全ての台詞、全ての役者の一挙一投足について「見えたっ!」と叫び出したくなるほど思えたのである。「見えたっ!」というのはどういうことかというと、今はまだ出来てはいないが、どうやったらそれが出来るのかが「見えた」という意味である。天啓と呼ぶ人もいる。
 キーワードは、前から口にしていたことだけれど「エネルギー」だ。人の心のエネルギー。それがやはりこの芝居の鍵を握ってる。

・衣裳パレード
5月26日(月)
 今日は衣装パレード!
 良いっ! ハッキリ言って、今回の衣装に大満足っ! 
 「夏夢」をスィンギン・ロンドンの時代の衣装と音楽で。ということを思いついたときには自分で自分に鳥肌が立ったが、実際、目の前に(仮縫い状態だったりするものもあったが)ズラリ衣装が並んでみると、マジ鳥肌もの。目が心地いい。
 人間界はカラフルに、妖精界はモノトーンでというコンセプトも生きている。ウィッグも洒落てて衣装にマッチしてる。原さんの手腕を感じるのは、「役どころの説明は二の次にしてもらってもいいから『スィンギン・ロンドン』を優先して欲しい」という私の注文を遙かにクリアしていて、昔のお話である「夏夢」に現代の衣装を持ち込んでいるところに無理がない。カウンターカルチャー(死語だね)風の衣装なのに、きちんと王様に見えたり、貴族の若者に見えたり、妖精に見えたり、ちゃんと演劇してるのだ。衣装の段階で。いやあ、参りました。
 ネタバレするので書けないのが残念ですが、○○の○○のときの○○を抱えた衣装が、とても倒錯なカンジで良い。シュールレアリスムというか、お耽美というか、お洒落な出オチというか。(公演が始まったら、私が言う衣装は「ああ、コレのことね」とすぐわかってもらえると思う)
 早く、衣装を着て芝居をしているみんなを見たいし、見せたい。

・ありがとう
5月25日(日)
 今日も稽古ド頭からいきなり通し稽古。今回は通常よりも通し稽古を多めにやろうという計画なのだ。何しろ膨大な台詞をかかえる役者、何度も通しをして台詞を身体に馴染ませていこうというわけ。
 通しと言っても、今回は音楽面が遅れており、(何しろ役者の芝居を責めまくる稽古前半だったので)楽曲もすべてはあがっていない。まだ音響機材も入っておらず、マイク無しでの歌だったりするので、そのあたりはもどかしい。
 昨夜は鋼太郎氏と山盛り飲んでしまい、かつ朝10時から3時間の照明打合せ。役者の大量の台詞に対してはこちらも気力体力を消耗する。ぼうっとするかと思いきや、頭脳は目の前の芝居に刺激されてビンビンに起きている。もう「いい歳」になってきたので、身体は悲鳴を上げているはずだが、文句も言わずに頑張ってくれている。ありがとう俺の身体。ありがとうカンパニーのみんな。ありがとうシェイクスピア。なんだか感謝の気持ちが溢れかえる。やっぱ歳かな。

・観劇
5月24日(土)
 今日は稽古休みだが、書くことがある。
 夕方、吉田鋼太郎氏の主宰する劇団AUNの『リチャード三世』を観に行ってきた。素晴らしい舞台だった。何度も鳥肌が立った。
 まあとにかく鋼太郎氏がシェイクスピアの台詞を自由自在に操るさまに鳥肌だし、その演出の手腕も素晴らしい。人殺しの場面で剣ではなく金属バットを使うアイディアは秀逸だったし、赤と白だけの装置と衣装は徹底していて気持ちよかった。
 そしてなによりも劇団員の真摯な芝居。シェイクスピアという大変な素材を抱えているにもかかわらず、物怖じしている者は誰もいない。たぶん鋼太郎氏の人並みはずれたパワーを劇団員がもらっているのだろう。カンパニーが一丸となって作っているんだなあ、というのが伝わってくる舞台で、えも言えぬ深い感動をもらった。
 私なんぞが僭越ではございますが、今までに観たシェイクスピア悲劇(史劇?)の中でベスト1に挙げたい。
 明日からは、日本で上演されたシェイクスピア喜劇の中でベスト1を狙う作品の稽古だ。

・初通し
5月23日(金)
 今日はいよいよ初通し。演出家にとって「稽古初日の読合せ」「劇場に入ってからのゲネプロ」に続いて3番目に大事なイベントだ。
 もちろん自分の頭の中には、幕が開けてから降りるまでの全体の流れのイメージはある。だが、実際にそれが目の前で行われるのを見ると印象は大きく変わる。今日の通しで全体の流れをいかにつかむことができるか。どこが滞っていて、どこがやりすぎなのか、何が伝わっていて、何が伝わっていないのか? それを見極めることができるか否かで今後の稽古のゆくえが変わってくる。

 ところで、今回の通し稽古はちょっと面白い景色だった。そう、景色。劇場では出番の無い役者さんは袖なり楽屋なりにいるわけで、稽古場での通し稽古では、袖にみたてた稽古場の端か、演出家の後ろなりサイドなりに待機しているのが普通。ゆえに出番のない役者の姿は演出家からは見えない。
 ところが今回の舞台の形状の関係で、出番のない役者は舞台の一番奥にズラリと並ぶことになる。
 これ、客観的に見ると面白い光景で、まず通し開始の絵としては、稽古場で客席側にスタッフが横一線にズラリと並び、それと対面するように役者が舞台奥に横一線にズラリと並んでいる。まるで戦(いくさ)の始まりのよう。
 そして通しの最中も出番の無い役者は舞台奥。つまりずっと私の目に映っているのである。これ、けっこう面白い体験だった。芝居なのにスポーツ観戦してるみたいな?
 さて、その一回目の通し。まずまずの成果が残せたという手応え。昨日に触れた2幕から3幕にかけての圭哉と潤ちゃんのエネルギーは芝居全体にいい影響を与えることがよくわかったし、やはり4幕は難しいということ。5幕に至っては今のところ、なんとか崩壊せずに最後まで走りきったか? という印象。ま、数日前に作った場面だしね。
 朗報もある。まずタイムが2時間30分をこの段階で切っていること。経験上、最初の通しで2時間30分なら、本番までには2時間10分くらいには短縮するはずだ。夏夢が、ほとんどカット無しで2時間10分で上演される! これ、ちょっと画期的だと思われるのですが、いかがでしょう。
 あと、役者のなかではコングが初通しというイベントによって吹っ切れた印象。確実に何かをつかんでくれたと思う。あと7日間とはいえ最終日までの仕上がりに期待が持てる。

・稽古も佳境へ
5月22日(木)
 さあ、初めての通し稽古を明日に控えて、いよいよ我が御大将・山内圭哉のエンジンがトップギアに入った。
 この圭哉のエンジンがトップギアに入る瞬間って何度見ても鳥肌だ。
 うなる台詞、最高潮に研ぎ澄まされた感性、絶妙の間と、破壊力のある突っ込み。誰だって稽古場でこれを間近で見せさせられたら、鳥肌たちますって。
 特に今日は、2幕に入っていきなりパック(植本潤)との長台詞バトル。いやこれは本当にバトルと呼んで良い場面へと進化してきた。今回は特に圭哉には相手の長台詞中にツッコミやら相づちやらリアクションやら、やりたい放題入れてくれと指示しており、そういうのもふくめて何かが圭哉の中ではじけ、炸裂した。対する潤ちゃんも超スピーディーな台詞を応酬してくる。これはもう芝居を見ているというより、ワールドカップ女子バレーを放送席で見ているようなそんな気分になってくる。
 そしてその後を引き継ぐのがオーベロン(コング桑田)とティターニア(樹里咲穂)の長台詞バトル。これもバトルとしかいいようのない迫力。二人の関西弁の勢いは留まるところを知らない。
 そして本役デミートリアスで再登場するのが山内圭哉。前半の超見せ場、ヘレナ(出口結美子)をこき下ろす場面。これもトップギアで飛ばしまくる圭哉。あんなに長いはずの一言一言が二人にかかれば嵐のように通り過ぎ、爆笑の渦に見ているものをブラックホールのごとく吸い寄せる。
 その嵐が過ぎ去ったと思いきや、次には、菜月&樹里の歌声が待っている。締めはコングのマイクを使わない生声大音量ソウルソングだ。見ている観客が息つく暇もないとはまさにこのこと。
 今日は、なんか、そういう稽古でした。

・役者以外のところもすごいデスヨ?
5月21日(水)
  今まで一度も触れませんでしたが、あさって初めての通し稽古をします。
 それを踏まえて、今まで全体を三分の一に割って、三分の一通しをやってきたのですが、今日はその最終コーナー、最後の三分の一の通し稽古。
 そういう状況もあって、稽古場には「巨匠」スタッフが集合してきました。
 装置プランナー横田あつみさん、照明プランナー高見和義さん、音響プランナー井上正弘さん、そして音楽製作の佐藤史朗さん、と稽古場が「巨匠」たちで賑わうと、演出家としてはほんとうに「頼もしい」空気で満たされるので、これまた幸せ。

 装置についてはまた別の機会に詳しく説明するとして、とにかく画期的なほどにシンプルかつ大胆なデザインなのだ。これで森をどう表現するのか? 王宮をどう表現するのか? 闘志の湧く装置。現代版、能舞台のような風情。
 そこにどう明かりを当てるか。照明の高見さんとは、今まで「ノースモーク、ノーピンスポット」というコンセプトで何回か仕事をしている。今の舞台で頻繁に見られる照明のビームの筋や、特に商業演劇には絶対にかかせないピンスポット無しで明かりを作るという挑戦である。過去の作品としてはグローブ座での『ハンブル・ボーイ』、本多劇場での『女中たち』などがそれである。この常識破りの手法を、今回もやることにした私たち。なにしろあの夏夢にビームもピンスポも無しで挑戦しようという試み。北九州芸術劇場さんが仕込み稽古に1週間をくださっていなければできない相談である。つまり、すべてを最初から計算して照明をきめ細やかに用意しておかねばできない手法なのである。武者震いが思わず走る。
 音響面でも、なるだけ「生声のひびき」を最大限生かしたサウンド作りをお願いした。歌やダンスが入るのに、である。
 照明のビームや、大音響にまぎれて、生身の人間の良さが損なわれるようなことがあれば、それは本当にもったいないことだから。

ボクが聴きたくて見たくてたまらない場面
5月20日(火)
 5場と言えば最後のダンス。今日はまずはそのダンスの稽古から。
  振付のみならず、その振りの指導もユニークなピエール杉浦くん。振付指導の声で皆が大笑い。相変わらず賑やかな稽古場なのである。
 そういうわけで職人劇団が披露するこの道化踊りを「ピエロ・ピエール・ダンス」と命名することにした。
 このダンスが終わると、通常はラストに向かってのオーベロン(コング桑田)とティターニア(樹里咲穂)の締めの台詞なのだが、今回は、これをデュエットソングという形で披露することになった。
 だってコングと樹里の歌聴きたいでしょ? せっかくだから。
 コングの歌のソウルがグレイトなのは、ボクにとってはもはや世界の常識。今回不勉強で初めて歌を聴かせてもらった樹里ちゃんの実力もすげえ。「ひばりが鳴くかのような」という比喩をはじめて具体的に聞かされたカンジ?
 二人の結構な長台詞をコンパクトに訳詩して、それを歌聖の二人に熱唱してもらう。こんな贅沢な夏夢がかつてあっただろうか。もうサビの部分なんか鳥肌無しには聴けません。しかもね、間奏では山内圭哉のギターが絡んでくるんです。これ、もうたまらないでしょ??
 気づいた方もいらっしゃると思いますが、そうなんです。これってボクが聴きたくて見たくて演出した場面なんです。でもこれ基本ですよ。自分が見たいがために作る舞台って。かける情熱が違いますもん。

泰さん
5月19日(月)
 ほんと、日誌って怠けるとすぐたまっちゃいますね。
 ていうか、私って、一日に書く分量が多すぎるのね。
 そういうわけで今日から短めに書きます。

 今日は昨日に引き続き、5幕の稽古。劇団の芝居の場面で「鳴り物」が欲しいなあと感じたので、劇団員が持つ小道具に「鳴り物」を仕込んで楽しく盛り上げようと思いつく。それをその場で実現していく演出部は本当にありがたい。
 あと申し訳なかったのが、陰山泰さん。今日になって急に「ここでギター弾いてください」と言い出す私に文句ひとつなく「ギターね、弾くのね、はい」と受けてくれて、ほんと、泰さんっていい人なんです。

 ここで泰さんについて書き始めたいのだけれど、そうなるとまた文章が長くなるので詳しくはまたの機会に譲ることにするが、泰さんは配役がクインスと聞いて最初はがっかりしたそうなんです。理由を聞くと「今までクインスが面白かった芝居を見たことがないから」なんだって。でもだからこそやりがいがあるし、ボクは翻訳したときにクインスが要だと思ったし。だからこそ泰さんにお願いしたのである。実際、今稽古場での泰さんの飄々としたクインスは、もうほんとにボクの狙い通り。お客さんに見てもらう日が待ち遠しい。

・13人いる!
5月18日(日)
 いよいよ稽古は今日から5幕、最終幕に突入である。
 私にとって「夏夢」の謎の部分だ。過去の作品を観に行っても、ここが最後にして最大の「だれ場」になっていることは間違いない。潤色作品でもかなり書き換わっているのがこの5幕である。
 さて、G2翻訳演出では、この5幕を迂回せずに「中央突破」する。ほぼシェイクスピアに忠実な台本のまま、この「だれ場」になりがちな「職人たちの劇中劇」で、見事今の日本の客席を沸かせようという挑戦だ。
 「森でさまよっていた恋人4人とアテネの王シーシアス夫妻が、職人たちの劇を見る」というこの場面、このカンパニーとしても13人全員が初めて一同に会するという楽しみなシーンでもある。
 稽古場も初日の読合せ以来、全員が揃う日となるのだ。
 だがまずは職人チームだけが出勤。手始めに「劇中劇」部分を稽古して、その後、残りの7人を迎えるというのが今日の段取りだ。
 さて、この5幕への挑戦のために集まってきていただいた職人役の俳優6人はいずれも「怪優」ばかり。
 以前この日誌でも紹介したボトム役の小松利昌(元「劇団☆世界一団」現「sunday」)を始め、フルートには「ナイロン100℃」の新谷真弓、スターヴリングには「劇団鹿殺し」の菜月チョビ、スナウトには「カムカムミニキーナ」の藤田記子、スナッグには「飛ぶ教室」の権藤昌弘、そして彼らをとりまとめるクインス役には、元「遊◎機械/全自動シアター」の陰山泰と、ずらり並べ上げておわかりのように全員、小劇場でバリバリ活躍中の実力派の面々なのだ。
 ボトムだけ喜劇の出来る人を入れて、あとは「新人枠?」みたいなカンパニーとは訳が違うのである。

 全員について詳しくふれたいが、時間がないので、今日は新谷真弓についてピックアップしてみよう。
 今回やっぱり新ちゃんの笑いのセンスの良さには改めて唸らされている。勘がいいのは言うに及ばず、台本を良く読み込んでいる。翻訳の際に、「ここはこういうニュアンスで演じてくれたら笑えるよ」と思いを込めて書くと、説明ゼロでそれをやってのけてくれるし、一つの指示で十がわかる様は見ていて気持がいい。圧巻はフルートのラストの愁嘆場。職人だから下手な芝居しかできないという設定だが、下手だからといってただ下手にやるだけじゃあ見せ物にならない。素人くささがちゃんと笑いに繋がらなければならない。この命題をいとも簡単にクリアするその手腕にはただただ脱帽である。

 さて、夢中で稽古するうちに夕方となり、残りのメンバーが稽古場入りしてきた。ここで彼らへ初めて「劇中劇」が初披露されることになった。職人劇団にとっては本当の意味での最初の観客である。結果は上々、失敗も含めて観客7人は爆笑の渦に。特にゲラだったのがヒポリタ役の樹里ぴょん。職人チームの一挙一動に大笑い。そのくせ台詞は「こんな面白くもなんともない芝居はじめて」と言わなければならない。そのギャップにまた稽古場は大笑い。
 笑うと本当に幸せになります。これだけ笑いの多い職場ってなかなかないんじゃないだろうか。そう思うと至福の一時である。

・お休み
5月17日(土)
 稽古休み。
 だが、たまった仕事をしてたから、お休み気分にはなれなかった。

・職人チーム
5月16日(金)
 今日は朝から晩まで、とことん「職人チーム」の稽古である。
「職人チーム」と呼んではいるが、今回の配役では「職人チーム」は「妖精チーム」を兼任する。例えば職人スナッグを演じる権藤昌弘くんは「蚕の親」という妖精を演じる。
 おいおい、「蚕の親」なんていう役はないぞ。とシェイクスピア通からはお叱りを受けそうだが、四人の妖精の名前が「蜘蛛の糸」「豆の花」「芥子の種」ときて、一人だけ「蛾」では、リズムが悪過ぎやしませんか。そこで同じ語感になるよう「蚕の親」とさせていただいた。
 ところで、その蛾=蚕の親には台詞が一言もない。そして権藤くんの二役目のスナッグが演じる役はライオンなので台詞が一言もない。という「台詞を言わせてもらえない地獄」に権藤くんにははまってもらっている。たぶんシェイクスピアの劇団では、蚕の親はダンスはうまいが台詞はダメというような類の役者が演じた故に台詞が無いのだろうが、今回のG2版では、「かわいそうな境遇を演じさせたら右に出る者はいない」と私が信じる権藤くん(通称ゴンちゃん)を敢えての投入である。
 蚕の親(蛾)は普通はめだたない役(台詞もないしね)ところが、その台詞を言わせてもらえないという可愛そうな境遇が笑いを誘うのである。あの物寂しげな表情と佇まいは、ゴンちゃん以外に誰ができようか?
 この舞台の初日は北九州芸術劇場で開ける。北九州と言えばゴンちゃんの地元である。地元の「飛ぶ劇場」の権藤昌弘ファンの皆様。ゴンちゃんに台詞が少ないと怒るなかれ。むしろ、それを武器にして戦えるゴンちゃんに拍手。

 今日の稽古のトピックとしては、ようやく最初の歌とダンスの見せ場である二幕一場の「妖精の歌」の稽古。リードボーカルを、妖精「芥子の種」の菜月チョビと、妖精の女王ティターニアを演じる樹里咲穂がリレーでお届けし、そこに意外な方法で恋人ハーミアを演じる神田沙也加がコーラスで参加する。どうです、この贅沢な布陣。
 妖精の歌の場面になぜハーミアが参加できるのか? その仕掛けもぜひ劇場にて確かめて欲しい。

 今日は稽古終了後に、下北で数人が集まってのタコ焼きパーティ。私は音楽打合せのために1時間遅れて駆けつけたが、すでにタコが無くなっていた。がっくり。

・難所の4場
5月15日(木)
  昨日、「難所の4場」と書いた。これは難しい台詞が多いとかそういうことではなく、むしろひっかかりが何もないという意味での難しさだ。今の感覚でいうと「え? それでいいの? そんな解決で?」というような「暖簾に腕押し」というか、夏夢だけに「夢オチ?」と疑問を持ちたくなって当然の場面なのだ。ご存じない方のためにその概略を書こう。

 3場で恋人たちがクライマックスを迎え、毒消しの力でもとに戻ったライサンダー(竹下)。五月祭りの儀式で森へやってきたシーシアス(コング)は四人の恋人が森の中で眠っているのを発見。デミートリアス(山内)の「今はハーミア(神田)ではなく、ヘレナ(出口)が好き」という発言も手伝ってか、シーシアスは駆け落ちしたライ(竹下)とハーミア(神田)を許すどころか、この二組のカップルの結婚式を、自分とヒポリタ(樹里)の結婚式と同時に挙げてしまおうとさえ提案する。まさに王様の気持ちひとつで人の人生が変わるという昔話の典型的な落し方なのであるが、これが今回は「現代感覚の会話劇」として見せたいという私の気持ちからすると「そ、そんなのでいいの?」と抗議したくなるようなプロットなのだ。翻訳するときから悩みに悩んでいた場面である。
 しかし、稽古場というところは本当に不思議な場所で、毎日のように大なり小なりの奇蹟を起す。そう痛感する瞬間がまた来た。ふと、デミ(山内)のヘレナ(出口)への誓いの台詞の言い方を「誓い」とはほど遠いニュアンスへと変えてみてもらった。すると、どうだろう、四百年前にシェイクスピアが仕掛けた意外な「秘密」が浮かび上がってきたのである。おきまりのオチであったはずの4場が、「な、なるほど」とため息を漏らす場面と豹変したのである。(「ダ・ヴィンチ特番」みたいでしょ?)
 それが何かは、ネタバレになるのでここでは書けないが、ぜひ、四人の恋人が朝を迎えた場面での山内圭哉の台詞にご注目いただきたい。「ニヤリ」とできること請け合いである。

 今日は稽古後に吉田鋼太郎氏が稽古場に来てくれた。パンフレット用に私と山内と鋼太郎さんの鼎談を行うためだ。自らの劇団AUNの稽古中だというのに駆けつけてきてくれた鋼太郎さんに感謝。
とにかく学生時代には原語の英語でシェイクスピアを演じたこともあるというシェイクスピア・マニアの鋼太郎さんとの鼎談は、興味深い話や、いろんな裏話が飛び出してとても面白いものとなった。
特に「シェイクピアは実は○○だった」という話にはみんなで驚き、大笑いした。

【吉田鋼太郎】
言わずと知れた蜷川シェイクスピアには欠かせない存在。実はG2とは学年は違うが同い年。ウィキペディアにも「シェイクスピアやギリシャ悲劇などの海外古典作品に要求されるスケールある演技を得意とする」書かれる役者ではあるが、G2と初めて組んだ、今年3月〜4月上演の「ガマ王子vsザリガニ魔人」では、細やかなニュアンス溢れる芝居で、観客を笑わせ、そして号泣させた。


・本作の「ダンス」について
5月14日(水)
 昨日は歌のことについて少しばかりふれたが、実は数日前からダンスの稽古も始まっている。振付は、役者として『ツグノフの森』にも出てくれた杉浦くん。今回は振付師・ピエール杉浦としての参加だ。
 彼の振付は劇団「bird's-eye view」の作品の一つで見ており「へえ、そういう才能があるのか」と記憶していたし、実は『ツグノフの森』でフラッシュバック的に登場するダンスも彼に振り付けてもらっていた。
 G2版『A Midsummer Night's Dream』を企画するうえでダンスはちょっと変わったものにしたかったので彼に発注したのであるが、この数日の振付を見させてもらって「うんうん、変だ。良いな」と満足している。
 確かめたわけではないが、彼はたぶんダンスの基礎訓練はうけていないのではないか? イデビアンクルーの井手さんと同じく、カウントで振り付けるタイプではない。井手さんはダンスを教える先生でもあるので、独自のストレッチやワークショップのスタイルを持っておられるが、ピエールの場合は「では、軽く準備体操をやります」と号令してやり始めた体操が、よくあるベタな水泳前の準備体操だったので、ちょっと(悪いけど)笑ってしまった。
 だが、それゆえに、普通の振付師とは全く違うユニークなものができあがる。均等に訓練された肉体と比べるとフィジカルな発想の仕方が根本的に異なるのだ。
 この現場では、陰山泰さんはじめ音楽やダンスに強い人もいるので、「それってカウントではどうなっているんですか?」と訊かれることが多い。そういう事情もあって、ピエールもカウントで伝えようと四苦八苦しはじめているが、僕としては井手さんのように「カウントは数えないでください」くらい割り切ったことを言っても良いんじゃないかと内心稽古を見て思っている。口に出して言うと役者が困るので口には出さないが。(むしろカウントを数えてあげてたりして)
 芝居の稽古のほうは、今日でひとつめのクライマックスとも言える3幕が終了。いよいよ明日からは難所の4幕へ突入していく。さて、ここからが正念場だ。

【『A Midsummer Night's Dream』の場割り】
この作品は5幕9場構成となっている。英語で書けば5つのACTと9つのScene。が、これもどうやら便宜上、後付けでふられたナンバーらしい。昔の戯曲の形式は5幕と相場が決まっていたらしいので、場割も何も書かなかったシェイクスピアのかわりに、出版社の人間か誰かが5幕にふりわけて番号をふったという説がある。(ちなみにハリウッド映画は観客にはわからないが大抵の作品が3幕で書かれている)


・本作の「歌」について
5月13日(火)
 「A Midsummer Night's Dream」といえば、歌に踊りがつきもの。
 原語の台本にもsing and danceって、ト書きが書いてあるものね。(シェイクスピアってほとんどト書きがない。一説によれば本人は全くト書きを書いておらず、数少ないト書きも後から書かれたものだというからこれだけではなんとも言えないが)
 そこで「歌を聴きたいなーっ」と思える役者を入れるべく、神田沙也加、樹里咲穂、コング桑田、菜月チョビらに出てもらうことにした経緯がある。神田、樹里、コングの歌に関しては説明は不要だろう。チョビちゃんについて少しふれよう。

 「劇団鹿殺し」[1]を観劇するとき、密かに僕はチョビちゃんの歌を楽しみにしている。歌が少ないと楽屋へ行って「今回は歌少ないよ」と文句を言うほど。彼女は照れて「みんなからは歌長いって言われてるので……」「いやいやもっともっと歌って。ミュージカルにしちゃっていいんじゃない?」
 なにしろ彼女との出会いは、彼女らの新宿での街頭ライブをたまたま通りがかって聞いたのが最初。(その割りにはそれ以来ライブには行けてないのが残念ですが)新感線が『IZO』で菜月チョビの歌をバックに使っていたのを聴いたときには「やられたっ!」と思いながらも、歌に聴き惚れて少し台詞(だか字幕だか)を聞き逃したりしてしまったほど。
 今回、実は音楽の製作が後回しになっていて、今のところチョビちゃんの歌声は稽古場では聴けてないのですが、聴けるようになったら、またこの日誌で報告するのでお楽しみに。

 さて、そんな中で真っ先に稽古場での歌デビューを果たしたのが、我らが山内圭哉である。
 基本、音楽はいつもお世話になっている佐藤史朗さんが手がけるのだが、今回は特別参加で、山内圭哉に2曲、鹿殺しのオレノグラフィティに1曲、曲を書いてもらっている。
 その圭哉の1曲目ができて来て、今日のお披露目となったわけだが、どうも私は個人的な趣味を舞台上に乗せたがる性癖があり、「痛くなるまで目に入れろ」以来4年ぶりに圭哉にギターを弾いて自ら作った曲を歌ってもらう場面がある。
 その場面は……いや、これだけは隠しておこう。観に来たときのサプライズ。格好良くギターを弾きまくるのに、なぜか大笑いできる仕掛けを用意してあるので楽しみにしておいて下され。

^[1]【劇団鹿殺し】
2000年菜月チョビと丸尾丸一郎で旗揚げ。テーマは「老若男女をガツンと殴ってギュッと抱きしめる」。その他詳細はこちらのオフィシャルサイトへ!


・続・修羅場
5月12日(月)
 もともとは、デミ(山内)とヘレナ(出口)そして、ライ(竹下)とハーミア(神田)の二つのカップル。なのにデミ(山内)が、ハーミア(神田)に横恋慕したために、そのバランスが崩れ、おかしなことになっていく。そして惚れ薬のために再びデミ(山内)はヘレナ(出口)の元に戻ってくるが、もはやヘレナには悪質な悪戯としか思えない。この状況にハーミアも困惑……。
 と、ここまでは、男性主導の恋の物語だが、ここからは一転して女同士の戦いに転じてくる。この女同士の修羅場、神田沙也加も出口結美子もマジでガチンコ勝負を演じていて実に気持がいい。手加減なしだし、二人ともシェイクスピアの長台詞を全くものともせず、私のネチネチと細かい演出に軽々と応えてくれる。
 そしてなによりも、昨日も書いたが、二人とも役を演じる以前に素材として本当に素晴らしい。二人とも天才的なコメディのセンス(芸人のそれではなく、役者としてのね)を持っているのはもちろんのこと、例えば「我が身をすぐ悲劇のヒロイン扱いしがち」なハーミアを演じる神田は、キザな台詞もキザに感じさせない。臭みがないのだ。「自分が絶対に愛されないはずがない」という信念が嫌味なくギャグになる。ともすれば「爽快さらさら」オンリーになりがちなキャラの持ち主なはずが、「ちょい泥」もしっかり出せる。これはもうハーミアにうってつけの素材。そこに彼女なりのこれまた「さらっ」と爽快な努力がしっかりと土台を固めている。彼女の努力は近くで見ていて「汗臭さ」を感じない。気詰まりしないのだ。
 対する「根性がねじまがってしまっている」ヘレナを演じる出口結美子は「挫折」を重苦しくなく表現できる。神田よりも一回り年齢が上の出口は、それなりに実人生で苦労も経験してきており、それがやはり芝居に滲み出るのだが、そこに実人生でも天然ボケな彼女のテイストが加わると、不思議な空間がそこに生まれる。異次元に引き込まれそうな、見ているものに平衡感覚を失わせるような妙な(敢えて妙と表現させていただく)魅力がある。ヘレナは恋人の中でもかなり長台詞の多い役だが膨大な台詞の量に気後れしているそぶりが全くない。そういう意味では安定しているが、良い意味でも悪い意味でも芝居がひとところにはいないから、稽古中、カンパニーのメンバーが飽きることがなくて楽しい。
 この二人の女優に負けてはならじと山内圭哉と竹下宏太郎の二人の男優も、早くもエンジンがトップギアに入りつつある。実に楽しみな場面である。

・ただいま修羅場中
5月11日(日)
 確か日曜日から始まった今回の稽古。ということは今日で二週目に突入である。いよいよ三場、恋人たち4人の愛憎入り乱れる修羅場のシーンだ。子煩悩な親バカ発言のように聞こえるかもしれないが、デミートリアス=山内圭哉、ハーミア=神田沙也加、ヘレナ=出口結美子、ライサンダー=竹下宏太郎の4人の作るこの修羅場は、日本のシェイクスピア喜劇にある種の革命を起こしてしまうかもしれないと思った。くり返すが、子煩悩な親バカ発言かもしれないけれど。

 今回の私のテーマは「この修羅場を決して魔法のせいにしない」
 確かにストーリー的にはパックの「惚れ薬」[1]の使い方の失敗が原因だが、魔法にかかったからであって心変わりは俺のせいじゃない。という芝居ではつまらない。現実世界だって簡単に男と女の気持ちが急に変わってしまうことは普通にある。当事者にとっては悲劇だが、まわりからすればこれほど面白いゴシップはない。しかもその現場をのぞき見ることができたら?……どんどん覗き見に来てください。来月、劇場で堂々と修羅場を展開しますから。
 冒頭でハーミア(神田)を奪い合っていたデミ(山内)とライ(竹下)。ところが恋の魔法で二人ともハーミアへの愛は失せ、ヘレナ(出口)を愛するようになってしまう。もちろんハーミア(神田)は目の前の出来事がにわかには信じられず、ヘレナ(出口)は愛するデミ(山内)の言葉をからかいだと受け取ってしまう。
 まずは見せ場は男二人にある。今まで別の女が好きだったはずなのに、手の平を返したように新たな女をくどき始める。ここに男の滑稽さがあり、それを信じない女の確かさと憐れさもある。私が個人的に好きなのは、お互いにかつて好きだったハーミア(神田)を押しつけ合う場面。これね、400年前に書かれているんだけど、今の感性にまったく反してない台詞なのね。今までの訳は少し飾り言葉が多くてこの男女の本質が見えなかった。過去の芸術としてのシェイクスピアならそれでいいんだろうけど、今の日本に上演される劇としては「しょせん英語の飾り言葉など日本語に置き換えるのは無理がある」という勝手な信念のもと、今の男女と変わらぬシェイクスピアの感性をなるだけ生かすべく、今の男女の言葉に置き換えてみた。
 そして、それを演じる4人が素晴らしい。400年前から変わらぬ愚かな男女の気持ちのズレを、くっきりとクローズアップする芝居。「朗々」と台詞を言うだけに終わらせず一言一句にしっかりとしたフックと、どすんと後で効いてくるボディ・ブローがある。
 山内圭哉に至っては彼の台詞の間だけではない。他の役者の台詞中もそのコミカルなリアクションが見逃せない。同じPiperのメンバーである竹内宏太郎とのキャラクターのメリハリも効いている。
 そして後半は、女優二人の修羅場へと変化を見せる。ライ(宏太郎)の心変わりがヘレナ(出口)のせいだと思うハーミア(神田)、デミ(山内)とライ(竹下)が自分を口説くのは、ハーミア(神田)が仕組んだ悪戯だと思うヘレナ。
 二人は、罵詈雑言の嵐をお互いにぶつけ合う。ここ二人ともふっきれてていいんだな。稽古してみて、神田沙也加がいかにハーミアを演じるのに適した素材であるか、出口結美子がいかにヘレナを演じるのに適した素材であるかを確信した。そしてお互いが適しているが故に、この二人のかけ算はある種の奇蹟を生み始め……。続きは明日書きます。

^[1]【パンジーの魔法】
キュービッドの恋の矢が落ちたことで不思議な魔力を持ったパンジー。その汁を眠っている人のまぶたに絞ると起きて最初に見たものを好きになってしまう。妖精の王オーベロンは后ティターニアをやりこめるために悪戯好きな妖精パックにそれを取りに行かせる。
が、デミートリアスがあまりにヘレナにつらくあたるのを見て、ヘレナに同情し、デミートリアスの目にも絞るようパックに命令するが……。古典的な喜劇の構造がここにある。

・パック
5月10日(土)
「A MIDSUMMER NIGHT'S DREAM」というタイトルは、かつて「真夏の夜の夢」と訳された。その後「MIDSUMMER」は夏至のことであるから、真夏はおかしいだろうという理由で「夏の夜の夢」と改題された。でもねえ、「MIDSUMMER」の響きがタイトルから無くなってしまって、私としてはなんだかさびしいものを感じていた。かといって「夏至の夜の夢」もなんだか違うし。
 迷ったあげく、今回は自分で翻訳するぞという気概も込めて原題のままにすることにした。だが、なにかにつれて関係者はタイトルを口にしなければならない。このちょっと長めのタイトルを稽古場で口にする人間は私も含めて誰もいない。ちなみに私はこの日誌でも書いているが、「夏夢」と呼んでいる。

 「夏夢」といえばパック。
 どうやらこのイメージが定着したのは、日本においては「ガラスの仮面」の影響が大なのではという俗説がある。私も新谷ちゃんが稽古場に持ってきてくれたので、初めて読ませてもらったが、これは傑作だと思った。特にパックの軽やかな動きを身につけるために、三方向から野球のボールを投げ、音楽に合わせながらそれを避ける練習の場面は、声に出して笑わせてもらった。
 そこで、実際にこの練習をやってみることにした。パック役の植本潤ちゃんを他のみんながぐるりと取り囲み、3つのボールをみんなで投げ、それを潤ちゃんが避けていく。実際やってみたら……あまり面白くなかった。

 さて、そのパックという役。ラストの挨拶の台詞[1]から「シェイクスピア自身が演じたのだろう」と言われている。最後の挨拶はわかるとして、なぜこの役を作者が? という疑問は、翻訳中には全く解決しなかった。だが、稽古場での植本潤ちゃんを見ていてわかったような気がした。
 自由なのである。この役。
 設定からして縛られない自由さがあり、劇構造的にも、自由に遊べる位置にあるんだなと痛感した。作家が自分が作った劇空間に縛られていてはつまらない。自分の作った構造を自分で壊していく快感をシェイクスピアは味わっていたのではないか。実際、潤ちゃんも自由気ままに演じていて気持ちが良い。
 今日は、パック登場から2幕いっぱいを立ち稽古したが、まあ潤ちゃんの動くこと動くこと、身体も台詞のスピードも「ガラスの仮面」のパックを凌駕する勢い。こっちの想像力を逞しくすれば、CGも顔負けの動きに見えてくる。そして何度くり返して稽古しても息があがらないのは凄い。けっこうな年齢なのに。
 「よく身体が動くね」と潤ちゃんに声をかけると、「こんなつもりじゃなかったんだけどね」と苦笑していた。もっと「静」なパックをプランしてたはずが、いざ稽古場でやりだしたら身体が動いてしまうらしい。ま、確かに「物書き」であるシェイクスピアがそんなに運動能力があったとも思えず、彼も「静」なパックを演じていたのかもしれない。だが、潤ちゃんのスピーディな動きが目に心地良いのも、演劇というものがもともとフィジカルなメディアであるというゆえんだろう。


^[1]【ラストの挨拶の台詞】
職人たちの芝居も終わり、祝祭劇のラストのダンスや歌も終わり、最後の最後、舞台上は単なる狂言回しだったはずのパックただ一人となって、結びの口上となる。その締めの台詞が「And Robin shall restore amends」ロビンというのはパックの本名で(パックは愛称)そのロビンの名において、今回の埋め合わせは近い将来必ず致します。つまり、次回作では頑張らせて頂きます。というようなことを言っているところからして、パックは作者であるシェイクスピアが演じたのであろうという説がある。

・稽古休み
5月9日(金)
 稽古休み。

・関西弁の効用
5月8日(木)
 いやあ、今日の稽古の後半には興奮した。関西弁でのオーベロン(コング桑田)とティターニア(樹里咲穂)の台詞の大応酬は「お見事」の一言に尽きた。爆発するスピード感と疾走するグルーヴ感っていうの? 側で聞いていたスタッフも思わず爆笑に引き込まれていた。(普通はスタッフはあまり稽古場で声をあげて笑ったりはしないんですよ)
 2幕の冒頭、妖精の王オーベロンと、王女ティターニアの口論の場面である。長台詞の応酬[1]で、役者としては見せ面なのだけれど、喜劇なのにこの箇所はコメディ要素が少なく、見る側の観客としては正直あくびの出る場面だ。
 ところがこの二人のやりとりときたら、「退屈」なところなんて微塵もない。見飽きるどころか「もっともっとやって欲しい、短くてもったいない」とすら思えるほど。今日の稽古で、シェイクスピアの台詞を一部のキャラクターだけ関西弁に翻訳したことについての手応えを感じることができた。

 実はこれは翻訳中の思いつきというか衝動で、山内圭哉演じるデミートリアスの台詞を関西弁でふと書いてみたところ、バッチリ「はまった」のだ。なにしろ冒頭でデミートリアスはヘレナを罵詈雑言でけなしまくる。下手をするとそれはただ悲惨な場面となり笑いなど起きない危険がともなう。ところが関西弁を使うと、いとも簡単にそれが笑いに転化される。関西弁は基本、悪口ベースなので、罵詈雑言のパワーは増すのになぜか響きはマイルドになるという不思議な効果がある。
 それ以外にも、関西弁には「翻訳もの臭さが無くなる」という作用があることが今回やってみてわかった。
 日本という国には「翻訳もの口調」が存在する。日常では決してそんな言い回しはしないのに、洋画の字幕や、吹き替えなどで登場すると違和感を感じないというアレである。ところが関西弁にはそれが存在しない。関西弁でしゃべるジョニー・デップとか見たことないでしょ? 

 標準語に訳するとどうしても元の英文に引っぱられて翻訳もの口調になりがち。それをさらに関西弁に翻訳しただけで、関西弁には翻訳もの口調が存在しないゆえに、今の日本で日常に交わされている会話に(まあ方言だけど)ちゃんとなるのである。
 このことで、400年前に書かれた言葉が、今の日本に生き生きと蘇ってくる。どんなに長台詞であろうと、飽きることはないという効果が生まれる。
 冒頭に書いたコング桑田と樹里咲穂の台詞の応酬。ぜひ本番で期待して頂きたい。

^[1]【ティターニアの長台詞】
2幕1場でのティターニアの長台詞には37行という途方もないものがある。A MIDSUMMER NIGHT'S DREAM全編を通して一番長い。これはオーベロンが喧嘩をふっかけるからそのために人間界はこれだけの災いに襲われているんだ。というその災難を並べた台詞。G2解釈では、これはすべてシェイクスピアの仕掛けた時事ネタで、今であれば、妖精の王と女王が「私たちが喧嘩したために、オゾン層が破壊されて、原油価格が高騰し、ミャンマーはサイクロンに襲われ、ねじれ国会に国民は憤り、オリンピックの聖火はあちこちでデモに遭う」みたいなことを舞台上に突然持ち出す面白さと同じ。今回の舞台では一部、今の時事ネタも入れる予定なのでそれもお楽しみに。

・「平成の藤山寛美」とは
5月7日(水)
 「平成の藤山寛美」とは誰が呼んだのかは知らないけれど、関西ローカルの雑誌の誌面にその文字が躍っていたのを見たときには「山内圭哉にぴったりの称号だ」と大納得した覚えがある。間違ってもらっては困るのは、だからといって藤山寛美に芸風が似ているということではない。平成に入ってから藤山寛美級に面白い喜劇男優は誰や? と聞かれたら山内圭哉しかおらんわな、と納得するということである。コメディに対する先天的なカン、台本の流れや演出や他の役者の芝居を瞬間的に掴む状況判断力、空気の感じ方、行くときはどこまでも暴走するそのやり口。うーん、うまく表現ができない。藤山寛美氏と圭哉の芝居を評論しようにも私の文章力がおっつかない。

 理屈よりも一目瞭然なのは先月まで上演されていた「ガマ王子VSザリガニ魔人」[1]での竜門寺の「泣き」の場面。あれを一目見ていただければ、まさに平成の藤山寛美を思わせる名演技だと誰もがご納得いただけるであろう。しかも、演出家としては是非を問われるが、あそこだけは「アドリブOK」の場面なのである。作家もト書きで「叫ぶように泣く竜門寺」としか書いていない。つまりは圭哉のセンスだけで突っ走る数分間なのだ。(東京公演ではこれが5分以上も演じられ、ダレるどころか観客席を爆笑と興奮と涙の坩堝に巻き込んだ)残念ながらリリース予定のDVDは、そのアドリブがこなれてくる前のものだが、それでも充分に堪能できる。上演を見損なった方はぜひDVDを。

 その圭哉を迎えての今回の『A MIDSUMMER NIGHT'S DREAM』キャストのメインクレジットも山内圭哉。シェイクスピア通は「ならば山内圭哉がオーベロンか? シーシアスか?」と言うだろう。
けれど今回は「いまの日本で大爆笑を起す」ための夏夢。原本を読んだ時にそれを実現するための「核となる登場人物は実はデミートリアスだ」と直感した。この物語での騒動はパックが巻き起こしたとするのが定説ではあるが、私はすべての騒動はデミートリアスが巻き起こしたのだという解釈で翻訳・演出を進めている。
 しかもデミートリアスという役は「ぶちこわしてそれを笑いと転ずる」ことを才とする圭哉のオリジナリティーとも一致する。しかし、この作品を上演したカンパニーとしては初の試みではないだろうか? デミートリアスを演じる役者が座長というのは。
 奇策とも思える作戦だが、まだ数日しか経っていない稽古場の様子を見ていると、奇策などではなく、正攻法の香りすら漂っている。
 さらなる奇策とも思える作戦がある。デミートリアスの台詞はなんと関西弁で翻訳されているのである。それが破壊力をさらに倍にしているのだが、シェイクスピアを関西弁で翻訳していることについては、また明日。

^[1]【「MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人」
2007年3月21日〜4月21日 東京・パルコ劇場ほか全国7都市で上演された。作・後藤ひろひと 演出・G2 主演・吉田鋼太郎 2003年初演 言及の場面はラスト近く、順平が死んだことを知り落ち込む竜門寺に、吉田演じる大貫が「涙を止める方法はいっぱい泣くことだ」とアドヴァイスした後。ト書きで「叫ぶように泣く」と書かれてあるところを延々泣きながら順平との思い出を語り出す山内圭哉の姿はまさに藤山寛美のアホぼんの姿と重なって見えた。

・はやくも秘密兵器の紹介だ
5月6日(振替え休日?)
 世間はまだGWらしい。今日は何の祝日だっけ? なにしろ私のMacのiCalは休日になっていない。何か設定を間違えてるのだろうか。誰か教えて。
 そういうわけでGWとは全く関係無く今日も稽古の私たち。
 昨夜、遅くまで打合せだったというのに、今日は11時から衣装打合せ。今回はなぜか衣装ビジュルアル(宣伝ビジュルアルも)と音楽のキーワードは「スィンギン・ロンドン」だ。1960年代末から70年初頭にかけてのロンドンで流行ったカルチャー。詳しくは、G2演出メモを。(会員限定ページですけど)
 衣装の原さんから上がってきたスケッチを見て思わずため息。うん、イメージ通り。みんな素敵にファッショナブル。特に妖精が画期的かな。今での妖精のイメージをくつがえすデザイン。壁に張り出されたスケッチを見て神田沙也加ちゃんも「可愛い〜」を連発していた。僕のお気に入りは植本潤ちゃんのパックの衣装かな。可愛く、かつ、お洒落だ。この衣装スケッチを見て今回は潤ちゃんだけに限らず男性全員に化粧をしてもらうことに決定。デヴィッド・ボウイやマーク・ボランのように。完成するのが今から楽しみだ。

 さて、今日はG2の「秘密兵器」について書く。まあ秘密と言ってもチラシにも名前が載ってるわけだから、秘密でもなんでもないが、出口結美子と小松利昌だ。この並びを見て「ははーん」と思った人は「通」ですな。そう、去年の公演『地獄八景‥浮世百景』に出ていた二人である。(あ、ちなみにこの作品でバッカーズ演出賞なるものを頂きました。関係各位には御礼申し上げます)関西弁の芝居だったので「せっかくだから大阪の面白い若手を」と半ば実験的に加わってもらった二人だった。ところがこの二人が予想以上の働きを見せてくれた。小松は怪優・松尾貴史とひけをとらぬ爆笑・花魁合戦を展開し、出口は「平成の藤山寛美」こと山内圭哉とみごとな掛け合いを演じきり、そのあまりの天然ボケぶりが、圭哉の速射砲的なアドリブ突っ込みを誘い出し観客を沸かせた。いやー、いい素材なんである。若手と言っても二人とも確か三十代に入っているから、ぼやぼやしてられない、どんどん使っていかなきゃと思いつつ、一年半過ぎての二人揃っての起用。今回の芝居でもダークホース的存在だ。稽古初日からどう転ぶかわからない意外性に他の役者の笑いを誘いまくっている。

 出口は、今回のG2版シェイクピア夏夢において、私が前半の超見せ場と踏んでいる「デミートリアスがまとわりつくヘレナをこき下ろす場面」でのヘレナを演じる。デミートリアスは圭哉だ。そう、あの「算段の平兵衛とその嫁」という組み合わせの再来だ。自分がこの場面を見たくてこの二人をキャスティングしたと言っても過言では……いや、そもそもこの二人の掛け合いが見たいと思ったのがこの作品をやりたくなったきっかけと言っても過言ではない。必ずや名場面ならぬ迷場面に仕上げるつもりなので、ぜひご期待を。

 一方の小松は、職人チームのエース「ボトム」を演じる。もともと彼は大阪だけでやっていたプロデュース公演で、同じ『夏夢』のオーベロンを熱演していたのを見てその凄まじいまでのエネルギッシュな演技に惚れ込んで『地獄八景』に誘った縁。やっぱり奴の持ち味はエネルギー溢れる笑い。小細工は似合わない。カミソリとは縁遠いパンチだが、ボディに食らい続けていると大爆笑させられている自分に気がつく。

 ところで今日の稽古で、小松が初めてロバの頭をかぶった時大いに稽古場が湧いた。あれだけロバの顔が似合う役者も珍しい。いや、誉め言葉ですよ。これ。

・ 「笑い」と「大外刈り」は似ているか
5月5日(こどもの日)
 いやはや、今日も稽古場で大いにみんなで笑った。笑顔はいいよねえ、やっぱり。でも、つくづく「笑う」って不思議な現象だと思う。
 どういう時に人は笑うのだろうか? 長年コメディーを作り続けていると、なんとなくの「勘」というか「セオリー」的なものは蓄積されてくるが、だからと言ってそれはなかなか口で説明できるようなものではない。
 ところが、それを口で説明しないといけないのが演出家の仕事である。つまり、ジョークのどこが面白いのかを説明するという、とんでもなく野暮なことをしなくてはいけない。つらいよ、これ。
 でも楽しい仕事でもある。特に今回のように「笑い」の達人が集ったカンパニーでは。

 敢えてざくっと言い切ってしまうと、「悲しい」とか「苦しい」とか「感動」とか言う感情に流行り廃りはない。人類普遍的に、親が死ねば悲しいし、お産は苦しいけど、子供が産まれたら感動する。けれど、今、バナナの皮ですべって転んだ人を見て笑ってくれる観客がいるだろうか。(ま、この表現はメタファーであって、実際、今それを敢えてやれば大爆笑ですけどね、これは仮装敵国[1]のケラ作品で実証済み)
 普通に考えると「笑い」というのは古くなりやすい。
 だから、シェイクスピアの悲劇は今上演しても素晴らしいものになりやすいけど、喜劇は「ん?」というものになりがちな危険をはらんでいる。
 そういうわけで、今回は、400年前に書かれたシェイクスピアの台詞を、なるだけ作者の意図は変えないで、今の言葉に書き直し、いや、今の日本で笑ってもらえる言葉に書き直す作業をしたわけだが、台詞がそうなったからと言って、観客が笑うかどうかはまた別だ。
 なにしろどんなに面白い台詞でも、言い方を間違うと笑えない。
 じゃあ言い方を工夫したらいいのか? というと、そういう表面的なことでは失敗することも多く、結局は、「観客と完全にチューニングが合い、次の瞬間、それがズレる」という現象が起こらねばならない。そういう意味で、例えは悪いが「笑い」と「大外刈り」は似ているような気がする。あ、やっぱ例え悪いや、今のは忘れてください。
 今日の稽古は、カンパニーを二つのグループに分け、前半は「職人たちの劇団」後半は「アテネの恋人たち周辺」で、今の感覚に物語のチューニングをどう合わせていくかというディスカッション。登場人物像をぐっと今の日本に近づけるにはどうしたらいいか? というのを考えながらの細かい読み合せ。

 と、こう書くとね、なんか理屈ばっかりの退屈な稽古場だと思われるかもしれませんが、実際には、冒頭に書いたように、昨日に引き続き爆笑の連続。なにしろ役者みんなの元もとのキャラクターが面白いし、「笑い」に対する勘が鋭い役者がたくさん集まってきてるから、いちいち楽しいことが起きる。それはどんなことなのか?
 それを書きたいのは山々なんですが、今日は稽古終了後に、音楽打合せ。22時30分までじっくりと話を詰めたので、ごめんなさい、くたくたなんです。私、24時には眠る人なので。明日以降で書きますね。今夜はお休みなさい。

^[1]【『仮装敵国』
松尾貴史とG2のユニットAGAPE store2005年の作品。執筆陣に、本文でも触れているケラリーノ・サンドロヴィッチのほか、長塚圭史、倉持裕、土田英生、千葉雅子、故林広志、後藤ひろひと(以上、作品登場順)という「笑い」が書ける旬の作家が勢揃いした、コント・オムニバス。そのケラ作品中で、春風亭昇太がしこんだバナナの皮に松尾貴史が転倒するという場面で大爆笑が起きた。

・稽古開始!
5月4日(祝)
 遂に稽古開始。この日が来るのが待ち遠しかった。なにしろ翻訳に半年もかかってしまった作品である。シェイクスピア様はやっぱ凄かった。そして自分の英語力の無さをただただ痛感する日々だった。
「今の日本で上演して、ちゃんと笑ってもらえる日本語台本に」を目指して、今までに見たことのなかった翻訳を。という苦行だった。本当に何十回となく逃げ出したくなった作業である。
 でも、そうやって苦労の結果出来上がった台本は自分では密かに「面白いハズ」とほくそ笑んでいた。この判断が、独りよがりなのかそうではないかの結果は、稽古初日の役者による読合せで明らかになる。
 一刻も早く役者に読んでもらいたい衝動を抑えて、まずは三十分ほど「演出意図」の説明。骨子は「どうすれば、400年以上前に英国で書かれた台本を使って、今の日本の客席を爆笑の渦に巻き込むことができるか」その詳細はメモってあるので、今後、この稽古場日誌でも発表していきたい。

 さて、今日の稽古はその後、役者にも一言ずつもらった。その中でも今回の座長的存在である山内圭哉が「今やってるシェイクスピアってめっちゃおもろいらしいで。っていう評判が立つようがんばりたい。そのためには力を惜しむものではない」の挨拶にはちょっと目頭が熱くなった。この半年間はたった一人の戦いだったけれど、これから先は気心の知れた仲間がいる。なんと力強いことか。

 そして、読合せ[1]。結果は大成功。稽古場は爆笑の渦。最初の読合せでこれだけ面白いんだから、これから1ヶ月稽古で詰めていけば、前述の「今の日本で上演して、ちゃんと笑ってもらえる日本語台本に」は達成されること間違いないだろう。
 集まってきてくれた小劇場出身のコメディーの強者どもが面白かったのはもちろんのこと、敢えて特筆するとすれば神田沙也加ちゃんだ。芝居の腕前は今までの舞台で見てきたが、これほどコメディセンスがあるとは? しかも稽古初日でいきなりいろんなプランてんこ盛り。そのプランのほとんどが即、実戦で使えるという、これは嬉しい誤算である。

 本日の稽古は、読合せ一回だけで終え、ほぼ全員で酒宴の席へ。
 そちらも大いに盛り上がったのは言うまでもない。

^[1]【読合せ】
最近は「本読み」と呼ぶ現場が多いが、台本を役者が自分たちの役で読み上げる稽古は「読合せ」が正解。「本読み」というのは、演出家なり作家なりが一人ですべての台詞を、役者の前で読んで聞かせる稽古のこと。これは最近では野田秀樹さんがやっているらしいがそれ以外知らない。昔テレビの現場で「遠くへ行きたい」の老ベテラン演出家がナレーターを前に自分で読んで聞かせてたのを見たことがある。あれも「本読み」だ。


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